2011年 08月 16日
盛岡では8月16日の晩に送り盆の行事舟っこ流しが行われます。 夕方から飾り船に火をつけて北上川に流すのです。 竜の舟に乗ってご先祖様が帰っていきます。 今年は震災被害者の戒名も書かれているとか。 安らかに。 その後小さな燈籠も川を流れていきます。 盛岡の夏の風物詩も終わり、涼しくなってきそうです。 #
by asanumashoyu
| 2011-08-16 23:01
| 雑記
2011年 05月 15日
自然の脅威に打ちのめされ、涙しそうな日々が続きました。 季節は変わり、瓦礫の中にも桜の花が咲きました。 一関市の大東町でも例年のように菜の花が咲きました。 そこには変わらないこともあります。 自然の中で自然と歩みを共に生きていくしかないのだな。 子供たちに自然との付き合い方を伝えたいという思い。 もしかすると自分たちも自然の優しさに抱かれて癒されたいという思いもあったのかもしれません。 「菜の花の黄は『希望』の黄、『勇気』『元気』の黄」大東町の勝部さんに教わりました。 ちなみに花言葉も元気、活発。 『浅沼君!やるしかない!』そんな生産者様たちの思いに乗せられて、お客様を中心に、 皆さまと田植体験&菜の花巡りツアーを企画しました。 最初はおそるおそるだった子供たちも、 摘みたての山菜をここの菜種油で揚げた天ぷら! 隣の陸前高田市からは津波の寸前で免れた椎茸が届きました。 自給率0.1%未満の金ゴマもここで収穫したものです。 下に住む酪農家さんは搾りたての濃厚なミルクを持ってきてくれました。 子供たちは「何これ!甘ーい、おいしーい」 農業技術センターの勝部さんは「ここは歴史的にも昔から戦のない平和な場所なんだ。」 僕はここにイーハトーブ(宮沢賢治のいう理想郷)を見た気がしました。 菜の花に蜂が集まってます。ここでは菜の花蜜も採取しています。 子供たちが植えた稲はやがて穂をつけお米に育ちます。 理想郷を創っていくのは私たちです。 豊かな地方の食生活の実現。文化の創造 大きなことを言うようですが、僕はみんなでそんな仕事をしていきたいと思っています。 じたばたしてもしょうがない。 自然に傷つき、自然に癒され共に歩んでいくしかないのだ。 そんなことを感じました。 #
by asanumashoyu
| 2011-05-15 19:34
| 雑記
2011年 04月 02日
先輩仲間に誘われて、沿岸被災地の恩人知人のお見舞いに出かけました。今さらとは思ったのですが、みそ、お米、下着、油、お酒など、みんなからのお見舞い品を積んで。 物資の不足がある程度解消され、何を持っていったら力になれるかとは思っていたのですが、まずは顔を合わせお見舞いにいこうと。 陸前高田のきのこのSATOさん、 復興に向けて力強く活動しておりました。先輩の佐藤さんは使わなくなったノートパソコン、プリンターを差し入れ。復興に向けての武器になることでしょう。 気仙沼への移動。そこで必要とされているのもOA機器、設備機械や復興へ向けての情報。段階を踏んで、必要とされるものは変化しております。 生活、雇用を作るために動きはじめた方も多くおります。復興に向けて前を向き始めた方には活動に必要な道具を。 物資の支援にも相手のニーズをつかむ感性が必要だと改めて感じました。 志津川(南三陸町)へ移動。昔から佐藤さんが利用し、お世話になっていた魚のみうら。変わり果てておりますが、再建に向けて活動をしておりました。 http://sakananomiura.blog.fc2.com/ 我々も落ち着いてはいられない。そう考えさせられる時間でした。 #
by asanumashoyu
| 2011-04-02 23:37
| 雑記
2011年 03月 23日
震災から12日が経過し、沿岸津波被災地の避難所を回っていても、日に日に不足物資は生き物のように変化しているのを感じます。味噌も避難所向けの業務用タルではなく、各家庭や個人レベルでの個包装が不足。ペーパーや電池だったり、そして何より被災地でもガソリンが足りない。 当初、真暗な夜の避難所、水も食料もない避難所からすると、生命維持に必要な最低限の物資の不足から、活動に必要な物資の不足に変わってきたことも意味すると思う。 人々の復興へ向けての活動が始まっています。外には瓦礫をかき分ける男たち。営業冷蔵庫の温度が上がる前に復旧させようと頑張る男たち。携帯電話会社やJRの復旧作業車。 先日、自衛隊、消防隊のテントが整列して幕営されているのを見て、頭が下がった。学生時代は一カ月の規律あるテント生活にも耐えられたが、今の自分はどうだろう?お腹周りも気になる、甘えた生活をしていないか。 男には『男スイッチ』みたいなものがあるのだと思う。非常事態でも冷静になり、危険に立ち向かう勇気と判断力が下りてくる。女性は子供の命と安全を守るために必要とされ、男は女性や子供たち、コミュニティの未来を守るために必要とされているのではなかろうか。 被災地にはそんな『男スイッチ』が入り、リミッターが切れた男たちがいっぱいいて、余震が続く中、復旧作業に昼夜一生懸命だ。テレビの中でもコミュニティを守るためもっと命がけで活動にあたっている人たちが毎日映されている。 『男スイッチ』は連鎖するように思う。テント生活で昼夜復旧にあたる自衛官を見て、僕も頑張らなきゃと思ったように、『あいつが頑張っているなら俺も手伝おう』という気持ちがひしめいている。 先日宮古に行った従弟もお客様の工場の泥かきを手伝うため、泊まり込みで大船渡へ向かった。被災地のガソリン不足を伝えると先輩たちがスタンドに並び、夜を徹して運搬してくれた。ささやかなミッションがつながって復旧への大きなうねりになってきているのを感じる。また、そのような気持ちのつながりが単純にうれしいものだ。 学生時代、山登りをしていて、自然の力には敵わないと思わされてきたが、今回、改めてその凄まじさが目に焼きついた。 それと同時に、人が生きる力って本当にすごいと感じさせられた。 まるで社会全体が生き物で、大やけどをした患部に包帯を巻き、庇うようにして治療をし、その回復を待っているかのようだ。 良くも悪くも事実として時間は前にしか進まない。被災地では個々には傷が深すぎる人も、痛みを堪え前を向き始めた人もいる。たまたま被災地という患部に近い所にいた僕には感じれることも回復へ向けて果たせる役割も大きい筈だ。 社会が回復するまで、それぞれの立場で励ましあい、支えあえたらいいなと思う。 帰りにサービスエリアで購入 日本赤十字社 http://www.jrc.or.jp/contribution/l3/Vcms3_00002069.html YAHOOボランティア 2011-03-23 23:25
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by asanumashoyu
| 2011-03-23 23:34
| 雑記
2011年 03月 19日
岩手県の陸前高田市、今回の震災で大被害を被ったこの町にも多くの恩人、知人、同業者の皆さまが住んでいます。 水や味噌、醤油だけでなく、本日も田鎖農園さんがお米や灯油(不足しているこの時期に3本も)などを提供してくださいました。 本当にありがとうございます。 町は壊滅しましたが、互助の気持ちで避難所で協力し合う皆さま、復興への意志の固さなどを伺い、我々もできることから前に進んでいこうとの決意を新たにしました。 日本赤十字社 http://www.jrc.or.jp/contribution/l3/Vcms3_00002069.html YAHOOボランティア http://bokin.yahoo.co.jp/donation/detail/1630001/index.html
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by asanumashoyu
| 2011-03-19 21:41
| 雑記
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